2026.06.11

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雑誌スマイラー122号「山葵」


伝統を打ち破る「山葵」の挑戦


武蔵関から世界へ、夫婦二人三脚で繋ぐ蕎麦の味

出会いは、一杯の蕎麦から
東京・練馬の路地を歩いていると、外からでも店内の活気がのぞける、明るく開放的な蕎麦屋に目が留まる。その名も「山葵」。のれんをくぐれば、職人の手さばきと香ばしい蕎麦の香りが迎えてくれる。

「昔の蕎麦屋って、なんとなく入りにくいイメージがあったんです。暗くて、常連さんだけの空間みたいな。でも私たちは、一人でも、家族連れでも、気軽にふらっと入れるお店にしたかった」と、オーナーの吉田征弘氏は笑顔で話す。その言葉通り、「山葵」は老若男女が自然と集まる、温かな空気をまとったお店だ。

「天龍庵」から「山葵」へ ― 受け継ぐ魂、刷新する姿
この店には、ひとつの”バトン”の物語がある。もともとは先代が「天龍庵」という名で切り盛りしていた蕎麦屋。それを現オーナー夫婦が受け継いだとき、二人は「自分たちのスタイルで、新しいスタートを切ろう」と決意した。店名を変えるにあたって、最初に候補に挙がったのは「柚子」だったという。「でも、柚子は季節が限られてしまう。年中、蕎麦に寄り添える名前がいいって話になって」と夫婦で顔を見合わせながら教えてくれた。そこで選ばれたのが「わさび」。蕎麦と切っても切れない薬味であり、ツンと鼻に抜ける存在感と、料理を引き立てる名脇役としての姿が、二人が目指す店のあり方と重なった。

内装も大きく変えた。外から中が見えるガラス張りの開放的な造りは、「入ってみたい」という気持ちを自然に引き出す。先代への敬意を胸に秘めながら、新しい風を吹き込んだ夫婦の覚悟が、この店の佇まいに滲み出ている。

「毎日食べたい」を叶える、こだわりの一皿
「うちは蕎麦屋ですけど、ラーメン屋さんみたいに薬味でアレンジを楽しんでもらいたいんです」と、オーナーは目を輝かせて語る。テーブルに並ぶ多彩な薬味は、まさにその想いの結晶だ。ひと口ずつ味変しながら食べ進める楽しさは、何度訪れても新鮮な発見がある。

なかでも常連客から絶大な支持を集めるのが「鬼おろし」だ。オーナーが修行に励んだ京都で出会ったこの一品は、ごつごつとした粗い目のおろし器で大根を豪快にすりおろし、みずみずしい辛みと食感を蕎麦に添えるもの。「東京に戻ってきたとき、まだほとんど知られていなかった。だから絶対に広めたいって思って」。その情熱は確かに実り、今では「『山葵』といえば鬼おろし」と語るファンも少なくない。

蕎麦そのものへのこだわりも妥協がない。使用する蕎麦粉は福島産、北海道産など3種類をブレンド。季節や気候によって配合を微調整したり産地を変更したり、常に最高のコンディションで提供する。看板メニューの「板蕎麦」は大盛りサイズで、波打つように盛りつけることで麺同士がくっつきにくく、最後まで美味しく食べられる工夫が施されている。「細かいことのようですが、こういうひと手間が味の差になるんです」と、オーナーは静かに、しかし確信を持って言う。

アスリートの体が打つ、魂の蕎麦
オーナーの経歴は、蕎麦職人としてはひと味違う。若い頃にはアイスホッケーや格闘技に打ち込み、鍛え上げた肉体と精神力を持つ。その後、本格的に料理の道へ進み、京都の名店で4年間みっちりと修行。さらに東京・青山の和食店などの厨房で腕を磨いてきた。

「蕎麦打ちって、全身を使うんですよ。力だけじゃなくて、リズムや重心の使い方が大事で。スポーツで培ったものが、こんなところで活きるとは思っていなかったけど」と、照れくさそうに笑う。その言葉には、長年積み上げてきた経験と自信がにじんでいた。傍らで奥様が「あの修行の時期があったから、今の私たちの店があると思っています」と優しく添える。夫婦の間に流れる、穏やかで揺るぎない信頼感が印象的だった。

スイス・チューリッヒへ ― 日本の蕎麦を世界へ
2026年6月、「山葵」は新たな挑戦の舞台を海外へと広げる。スイス・チューリッヒにある日本食レストラン「BIMI(美味)」(ダボス会議日本食担当)からの招待を受け、オーナー夫婦が約2週間にわたって現地を訪問。蕎麦打ちの技術指導と、本格的な蕎麦とうどんを味わってもらうイベントを開催する予定だ。

「日本人が普段何気なく食べている蕎麦が、外国の方にとってはどれほど新鮮に映るか。それを直接伝えられる機会をいただけたことが、本当に嬉しい」と、オーナーは静かに、しかし力強く語った。奥様も「湿度やお水がどう影響するか心配ですけど、それ以上に誇らしい気持ちのほうが大きいです」と微笑む。

武蔵関の小さな蕎麦屋から、スイスへ。その距離は遠くても、一杯の蕎麦に込められた想いは、きっと国境を越えて人の心に届くだろう。

店を彩る、若きエネルギー
もうひとつ、「山葵」の魅力を語る上で欠かせないのが、スタッフたちの存在だ。早稲田大学の女子サッカー部員がアルバイトとして多く在籍しており、その溌剌とした笑顔と誠実な接客が店の雰囲気をいっそう明るくしている。卒業後にプロ選手となり、海外リーグへと羽ばたいていった子たちもいるという。「みんな真剣に夢を追っている子たちだから、一緒にいると私たちも刺激をもらえるんです」と奥様は目を細める。夢を持つ者が集い、互いに高め合う場所。「山葵」はそんな、人の縁が育つ店でもある。

おわりに ― 蕎麦に込める、ふたりの誓い
先代から受け継いだ暖簾を、自分たちの色に染め直しながら、ひたむきに蕎麦と向き合い続けるオーナー夫婦。話を聞いていると、この店が単なる「飲食店」ではなく、二人の人生そのものだということが伝わってくる。

「体にいいものを、美味しく、楽しく。それだけは、これからも変えずにいたい」。その言葉に、夫婦そろって頷く姿が、とても温かかった。

武蔵関に根を張り、世界へと枝を伸ばす「山葵」。その一杯には、職人の誇りと、夫婦の愛と、出会いへの感謝が、静かに溶け込んでいる。


店舗名:板蕎麦 山葵(わさび)

住所:〒177-0051 東京都練馬区関町北1-15-8  

電話:03-6794-1111