2026.04.21
NEWS
雑誌スマイラー120号「農家レストランyato.」



里山の記憶を未来へ繋ぐ——神奈川県海老名市に誕生した「農家レストラン」
風景を残すという選択
神奈川県海老名市の里山に、一軒のレストランが誕生した。目久尻川のほとりに広がる約2,200平米の農地。ここは古くから人々が暮らし、里山を形成してきた場所だ。オーナーの鈴木信一さんは、この土地が持つ価値を次世代に残したいという思いから、45年にわたり守り続けてきた。
「昭和30年代半ばまで、薪や炭で煮炊きをしていました。その原料の雑木林がここにあったんです」
高度経済成長期を経て、多くの里山が宅地開発の波に飲まれる中、この場所は残された。経済的には負担ばかり多い選択だったが、「違うものさしで見たら、とんでもない価値がある」という信念があった。
農業の六次産業化という挑戦
セカンドライフとして本格的に農業を始めた信一さんは、無農薬・有機栽培でみかんや柿を育て、養蜂も手がけてきた。しかし、いくら良いものを作っても、その価値を認めてもらうことは容易ではなかった。そこで注目したのが、2019〜2020年に改正された生産緑地法だ。生産緑地の20%まで、農業に関わる農家レストランの建設が可能になったのである。
「ここで採れたものを直接提供できる。レモンと蜂蜜でレモネードを作ったり、蜂蜜をかけたケーキを出したり。様々な展開が考えられます」単なる農産物の販売ではなく、加工や飲食を組み合わせた六次産業化によって、地域の雇用創出と経済循環を目指す構想だ。
父母の思いを形にする息子の決意
この事業を具現化したのが、息子の輝彦さんだ。「父と母がやってきたこと、その思いを残したい。次の世代に継承していきたい」という思いから、このプロジェクトが始まった。
輝彦さんが考えたのは、単なる飲食店ではない。「今の時代、人の心の居場所や精神的な寄り所が失われている。少子高齢化で世代間の繋がりも希薄化し、共同体の脆弱化が進んでいます」そんな中、ここには既に共同体がある——父母がいて、その思いに共感するスタッフがいる。「それを海老名という町に結び直していくことが、この場所の意義です」
メニューは「一汁三菜」を基本とした、シンプルで飽きのこない日常の食事。「毎日食べて美味しい、それが本当にうまいもの」と信一さん。母が当たり前に作ってきた、暮らしに近い料理は、おじいちゃんおばあちゃんには寄り所となり、若い世代には学びや新しい発見となる。世代を超えて心を繋ぐ食事を目指している。
土地の記憶を立ち上げた建築
建物の設計を手がけた一級建築士・手島伸幸氏は、「基本的には、屋根だけを作れば良いと思っていた。この場所そのものに価値があるから、何かを作り込むこと自体が不自然だと感じた」と語る。
残すデザインとは何か。彼が辿り着いた答えは、「山をそのまま立ち上げる」ことだった。外装と内装に境界がなく、山がそのまま建物になったような空間が生まれた。大きなガラス窓からは里山の四季が感じられ、室内にいながら外にいるような体験ができる。
掘り込み式の客席は、信一さんが里山の傾斜に腰をかけて木々を眺めていた、その風景の再現。土壁には敷地の土を練り込み、家具は透明なアクリル製。風景と食材が重なって見えるように。
加えるのではなく、引き算する。その覚悟を持った設計は、国家戦略特区で作られたものを除き、神奈川県初の農家レストラン事例として、建築基準法の特別な緩和を得るまで約3年を要した。神奈川県と共にルールを作り上げていく過程は、まさに地域と一体となった挑戦だった。
循環を可視化する場所へ
「目標は循環を可視化し、恵みという祝福を分かち合える場にすること」と輝彦さん。養蜂家との協働、地域の椎茸農家からの仕入れ、竹林から採れる筍、山に自生する山芋や蕗——この土地が生み出す恵みを丁寧に扱い、訪れる人に伝えていく。
里山があり、季節の恵みがあり、丁寧に作られた食事がある。横並びの席から見える風景と、そこで交わされる未来への言葉。
「祝福の場」として、ポジティブな会話が溢れる場所にしたい——そんな願いを胸に、この農家レストランは新しい一歩を踏み出す。
里山の記憶と、これからの暮らし。その両方を大切にする場所が、海老名の地に生まれた。
店舗情報 営業日:水・木・金・土(週4日営業)
営業時間:ランチ 11:00〜14:00 / ティータイム 14:00〜16:00 / 夜営業は2026年12月頃から開始予定
※詳細はホームページをご確認ください
取材先
株式会社 見世
<農家レストランyato.>
〒243-0403 神奈川県海老名市望地2-614
TEL:090-8422-0404



