2026.03.27

NEWS

雑誌スマイラー119号「三ツ木」



江戸前寿司の伝統を次世代へ――
深川「すし三ツ木」三ツ木新吉大将の挑戦

「サーモンがないのですか」「わさびが付いているのですね」

門前仲町の路地裏に佇む「すし三ツ木」では、回転寿司に慣れた来店客からこうした声が上がることがある。77歳の三ツ木新吉大将は、こうした時代の変化を受け止めながらも、55年間にわたり一貫したスタイルを守り続けている。


現代の寿司文化が見失いつつあるもの

回転寿司チェーンの普及により、多くの消費者は手頃な価格で寿司を楽しむ機会を得た。サーモンやマグロを中心とした定番メニューやわさび抜きなど、現代の寿司店が提供する利便性は確かに優れている。三ツ木大将自身も「あの価格帯で一定の品質を提供できることは評価に値する」と認めている。

しかしながら、こうした大衆化が進む一方で、江戸前寿司本来の技法や味わい方が一般に知られなくなっている現状がある。魚を一晩寝かせて甘みを引き出す熟成技法、口中でシャリが溶けて魚の旨味が残る握りの加減、職人が目の前で一貫ずつ丁寧に握る付け台の文化。これらは江戸時代から継承されてきた伝統技術であるが、現代においては稀少な存在となりつつある。

「板前であってもカンパチを食べて『これは何の魚ですか』と尋ねる方がいます。熟成させた魚を知らないのです」という大将の言葉は、専門家でさえこうした伝統技法に触れる機会が減少している実態を表している。


情報化社会における体験価値の再考

現代社会において、消費者は口コミサイトの評価やSNSの情報を基に飲食店を選択することが一般的となっている。こうした情報へのアクセスは確かに利便性をもたらしているが、三ツ木大将は別の視点を提示する。

「甘味、辛味、塩味、酸味、それぞれに個人の嗜好があります。自身の好みを探求することにこそ、食の楽しみがあるのではないでしょうか」

数値化された評価や他者の感想に依存するのではなく、実際に足を運び、カウンターに座し、職人と対話する。こうした直接的な体験を通じて初めて、真の味わいを理解することができる。大将の店では付け台の文化を知らず、そこに携帯電話を置く若年層の来店客もいるという。しかし大将は「そこから伝えていけばよい」と前向きに捉えている。


技術継承への取り組み――「さかな塾」の開催

三年前より、三ツ木大将は料理教室「さかな塾」を開始した。当初は釣り仲間からの「魚の捌き方を教えてほしい」という要望が契機となったが、現在では女性客を中心に、魚の下処理から煮付け、卵焼き、手まり寿司まで幅広い技術を指導している。

「私が習得した江戸前寿司の技術を、若い料理人に伝えたい。学びたい方がいらっしゃるのであれば、教えなければならない」と大将は語る。

毎月第四日曜日に完全予約制で開催される教室は、定員五名の少人数制である。この形式により、参加者一人ひとりに丁寧な技術指導が可能となっている。

なお、三ツ木大将は釣り竿職人としても「優秀技能者」の表彰を受けており、四十年間にわたり竿作りを継続している。毎週深川の船宿から釣りに出かけ、自ら釣り上げたタチウオ、ハゼ、カワハギが店頭に並ぶこともある。寿司、竿作り、釣り、料理教室。これらすべてに共通するのは、技術を次世代に残したいという強い意志である。


変化する街並みの中で

かつて門前仲町には多数の寿司店が軒を連ねていた。「この通りだけでも何軒もありました」と大将は振り返る。しかし現在、「すし三ツ木」は地域に残る数少ない伝統的な寿司店となっている。街場の寿司店は次々と姿を消しており、「私を可愛がってくださったお客様は、もう八十歳を超えて亡くなられるか、来店できなくなりました」という現実がある。

十五年前、癌により「余命一年から二年」と宣告された際、十九歳から四十三年間一緒に働く大竹秀和店長が店に戻ってきてくれた。「引退する年齢ではありますが、秀さんが店長でいてくれるため、まだ続けることができています」


深川の食文化を守る取り組み――特製「あさり丼」

かつて深川の名物として親しまれてきた「深川めし」の提供店が減少する中、地域からの要望に応える形で誕生したのが、ランチ限定の「あさり丼」である。

赤酢を用いてまろやかに仕上げたシャリの上には、ふっくらとしたあさりが贅沢に盛られている。口に運んだ瞬間、潮の香りとあさりの旨味が広がり、上品な味わいが感じられる。さらに途中から特製の出汁をかけることで、赤酢シャリと出汁の風味が重なり合い、驚くほど軽やかな後味へと変化する。

深川散策の合間に、この一杯は特別なランチ体験を提供する。ここでしか味わえない料理が、下町を訪れる価値を静かに、しかし確実に示してくれる。


伝統継承における私たちの役割

門前仲町の路地裏で、今日も三ツ木大将は寿司を握り続けている。そして月に一度、「さかな塾」を通じて次世代へ技術を伝えている。

伝統文化の継承において、私たちができることは決して複雑ではない。その場所を実際に訪れること、自身の五感で本物を体験すること、そしてその経験を周囲に伝えること。こうした行動の積み重ねが、伝統を未来へつなぐ重要な役割を果たすのである。


店舗情報

深川 すし三ツ木

大将:三ツ木新吉氏(創業55年)
 店長:大竹秀和氏

所在地:東京都江東区富岡1-13-13
 電話:03-3641-2863
 定休日:月曜日・第三日曜日

さかな塾
 開催日:毎月第四日曜日
 形式:完全予約制(定員5名)